知りたがりの雑記帳

24歳 大卒 既に2度転職 実家に寄生中無職 これからどうする!?

飽き性の効用

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陶芸家先生とビジネス話をした後、なぜか憂鬱で何かに悩んでいるようなとても曇った気分で数時間過ごしていた。

でも今回おかしいのは一体何に悩んでいるのか、そもそも悩みなのかさえよく分からない、気怠く、センチメンタルで、ちょっと悲しい、そんな気持ちだ。

 

私は…ひょっとしたら陶芸家先生との会話に飽きてしまったのだろうか。
私にとって飽きとは切っても切り離せない言葉で、色んな関係をぶった切るのに飽きたという一言はとっても有効な言葉なのだ。

 

飽きたと言った瞬間にすぅーっと空気が薄くなる。酸素が減って色んな人が呼吸しづらくなる。気の利いた人がいれば、疲れてるんだとか遊びに行けとか言うだろう。

 

これは妄想だ。私は大勢の前で自分が仕事に飽きたとかそんなことは言わない。でもその言葉には人間関係を修復できないほどに歪ませることができると思う。あーきた飽きた秋田。今まで積み上げてきたもの、それって他人に言われて、上司に命令されて、家族に言われて、同僚に言われて、仕方ないからやろうかななんて思ってやってきたもの。

 

自分の意志で、明確で揺ぎ無く、他人にどう言われようと関係ない、ぶれない軸のある自己意思に基づく何かであれば、それ程のものであれば飽きない。とてもじゃないが飽きるなんて言えない。と私は思うのだ。

 

ではなぜ私は飽きるのか。至って単純である、金も地位も名誉も女も何もかも私にとって積極的に飽きる対象だからだ。飽きるとは、飽きるとは!崇高である自分だ!自分そのものを糞みたいな世の習わし、価値観から脱却するために、自分に毒を注ぐのを防ぐために必要なことなんだ!

 

飽きることで常にスタートラインに立てる。スタートラインはゴールに向かうために通るものではない。そんなものは”ゴールに到達することが目的の人間”でしかない。ゴールはない、あるのは他人が勝手に決めた他人都合主義的ゴールだ。私はそんなゴール気にしない、どれ程他人の意見で軸がぶれようと構うものか、私は意識すれば一瞬でスタートラインに舞い戻ることができる。飽きた と、その一言でポケモンで言えばあなぬけのヒモの如く、スタートラインに戻るであろう。

 

このようにして私は100記事達成目標というセーブポイントに戻ることに成功した。