知りたがりの雑記帳

人生の楽園を探して

飽き性の性質

どうもムカイハルトです。先日、どこかのデリヘルグループのWeb更新スタッフのアルバイトに採用されて働いています。仕事をしていて違和感がないので自分に合っているように思っています。


さて、今回は飽き性について個人的に有意義な仮説に辿り着いたのでご報告します。

そもそも大雑把に飽き性は2つに分けられます。

・物事を突き詰め過ぎて他にやることが無くなって飽きるパターン

・最初は面白そうとか興味があると感じて始めたものの、すぐにやる気が無くなるパターン

私が今回言及するのは後者ですし、それは自分自身が後者パターンの飽き性だと思っているからです。

 

さて、簡単な定義が終わったので結論を書きますと、

ある事象に対して、携わった時間、接触回数、思考回数、思考濃度によって事象についてのめり込む性質や傾向が小さい人間が後者パターンの飽き性になる可能性が高いです。

 

誰しも何か新しい物や人と接触するときというのは、初めてなので相手の情報は0スタートです。

飽きにくい人間と飽きやすい人間の違いは、同じスタート地点の開始だとしても、のめり込みやすいかそうでないかに大きく左右されます。

では、一般の人間(それなりに周囲の人間に流される、適度に飽きる、円満な家庭に育ち家族思い)と飽き性の人間はどこで差がついているのでしょうか。

これが上の結論で申したとおり、ある事象に対して様々な外的要因によってのめり込むか否かということになります。

 

例えば、両親ともにミュージシャンの家庭で15年暮らしている子供はどうでしょうか。

その子供が一般の人間だとしたら、音楽の才に恵まれなかったとしても音楽について人並みならぬ興味関心のある大人になる可能性は非常に高いと思います。

音楽に触れ、考えた時間と回数が抜きん出ているからです。

これは外的要因によって音楽にのめり込む状況が生まれ持って存在していたからです。

ではもし、後者の飽き性がこの家庭に生まれていたとしたらどうなったでしょうか。

恐らく自分の好きなジャンルの音楽やマイナーなアーティストの知識はそれなりにある大人になるかと思いますが、それ以上に興味関心があるかは”ランダム”になります。

なぜなら己の外部の影響を受けてのめり込む性質が殆どないからです。

親への反抗心でないとして、音楽以外のジャンルに進路を取る確率は高いでしょう。

なぜなら遺伝情報と環境要因を無視すれば、人間の興味関心は”ランダム”としか言いようがないからです。

無数にあるジャンルの中から”ランダム”に偶然親の興味関心と一致することは相当珍しいでしょうね。

 

後者の飽き性でないことが環境適応に優れていると捉えて良いかは分かりません。

ただ、日本の学校教育や家族システムで簡単に補えるとは思えません。その程度には逸脱した性質だと思います。

文化や思想が身体の芯に染み渡っている気がしないのです。日本人を続けて25年経っても、私が日本人であると名乗っていいのかよく分からないです。

日常生活の中で気を抜くとVRのようなヴァーチャルな世界にいる感覚になります。

最近では、実際に目の前にいる男性の後頭部目掛けてピストルをかましたところ(勿論想像上ですよ)血しぶきと肉片が私の顔面に大量に飛んで来たので、思わず目を閉じて避ける素振りをしてしまいました。

それを買い物中の女性にまじまじと見られていたころに気付き、危ない危ないと我に返えりましたが…w

他にも箸渡しを親の目の前でしたとき憤怒を買ってしまい驚きました。演技でなかったので。

 

そんなこんなで外部要因に影響されて人格形成に取り込むことができない、時間と労力を投入しても自分の中に蓄積されないなど環境によって成長することが難しいのが後者の飽き性の特徴の1つではないかと思います。

環境の影響で強固な記憶形成により興味関心などを刷り込むことができない私は、徹底して自分の感性を信頼するしかありません。感性に従った結果、現時点で最も興味のある仕事は風俗に関係するものだという結論が出たので暫くこの業界に従事してみようと思っています。

 

もしかすると”普通であれ”という国民典型日本人化計画という方が狂気的かもしれませんが私の批評するところではないので割愛。