知りたがりの雑記帳

24歳 大卒 既に2度転職 実家に寄生中無職 これからどうする!?

時間の無駄になる気休めスパイス読書について。

最近マンネリ化してきたのでネタがなくなりそうな妖精(仮)です。

今回は読書すれば賢くなるのか長年思っていたことを書きました。

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本が好きな方や活字中毒の方は読む必要のない記事です。

読書を娯楽として楽しむ分には断然いいと思う。
結論を言うと、何かの答えをそこに求めてしまうとあまりうまくいかない場合があるよって話に過ぎない。

哲学書から考えるためのヒントは得られたが…


14歳の誕生日に『14歳からの哲学』という本を親父から貰った。
その当時、クラスから自分が浮いていることを自覚し、暗い闇に向かう数歩手前にいた私には一筋の光のように思えた。

 

著者からのコメント あとがきより Amazonから引用


だって君が求めているのは、「考えて、知る」ことであって、「読んで、覚える」ことではないからです。

自分で考えて知るために、他人の本を読んで覚える必要はありません。

むろん、あれらの哲学者たちは、自分で考えて知ったことを、書いて本にして残したわけですが、それらを読んで考えるとはどのようにしてなのか、まずそれがわかっているのでなければ、それらを読んでも何も知ることはできないでしょう。

でも、そんな仕方で哲学の本を読んで、考えたつもりになってしまうことが多いので、あれらの本を読むのは、自分で考えるとはどのようにしてなのか、なんとなくでもわかってからの方がいいかもしれません。

そうして考えながら読んでみるなら、あんなに面白い読書はありませんよ。

答えを探す読書は面白くない。

 

だが、人間は考える葦だとか万物の霊長だとかそんなことを言っても、それに該当する人間がどれ程いるのか。


人間は思考力を持っている。これは事実だが、その度合いは人によって全く異なる。


思考力のない人間が読書程度で知識を獲得できるまで成長できるのか?


試験で暗記したものしか答えられない人間が、読書から知識を得て自分の血肉に変えて知恵として蓄えることがどれ程できるのか?

 

あなたの並々ならぬ知的好奇心や学びたい意欲があれば、読書から欲しいものを抽出できるかもしれない。


だけど、その他大勢の私のような中途半端者には土台無理な話だ。


それでも何か吸収しようと読書を続けてしまうのは強い思い込みがあるからだ。


読書すれば自分は賢くなれる。
最近の若い奴は読書をしないらしい、だからきっと読書すれば自分は優位に立てる。

 

そんなわけがないだろう。そんなあまい話があるわけないだろう。


皆、今よりも頭がよくなりたいと思っているんだ。


読書して頭がよくなるのなら本屋は今だって儲かってしょうがないだろう。

 

なぜ”賢くなれる”とか自己啓発の類が売れるのか?


それは読者があたかも知識を血肉に変えられたり、自分の視野が大きく広がったりしたように思えるよう誘導されているからだ。

予備校ビジネスを少し考える

 

予備校ビジネスにもその要素は取り入れられている。


東大生を毎年500人輩出していると宣伝文句で言っているとして、まるでその予備校に通えば難関大学に自分も合格できるんじゃないかと思わせている。


馬鹿でも秀才でもとりあえず人数が集まってしまえばその中で優秀な奴は勝手に難関大に受かるんだよ。

 

今、私たちは自分の遺伝子レベルでどの程度勉強ができるとか、賢いということを数値化できないから、”東大に受かる奴が受けている高密度の講義を受ければ、上位の大学に受かる”なんてのは都合のいい思い込みだ。

 

読書はスパイスに過ぎないという意味


話を戻す。

高校の図書委員時代、読書推進のためのスローガンを作ろうという話になった。


そのとき自分が思いついたのが「読書はスパイスに過ぎない」である。


私が言いたかったのは、読書程度で身に着けた知識など些細なスパイスに過ぎないということだ。


読書よりも大事なことがあるんじゃないか?
それは自分の血肉であり実体験に基づく経験だ。

 

恋愛工学の『僕は愛を証明しようと思う。』に出てくる、

リチャード・ドーキンス利己的な遺伝子』を読んだことがある。


この本は遺伝子生物学の中で名著らしいのだが、よく読んでみるとどうにも酷いのだ。
何せ、何一つ証明できないことを永遠と書き続けているからである。


生物学で言う淘汰は、あくまで現代を生きる人間から見ると「~といった理由からこの種は絶滅した。かもしれない」「きっとこうだからメスにモテるんだと俺は思う」程度しか書かれていない。


酷い言い方をすれば全て著者の妄想なのだ。


それっぽいことしか書かれていないのにも関わらず世間では名著と言われている。


名著と言われてようと読み手に適正がなければ吸収できない。


名著だからよく分からないけど読んでいるのは残念ながら時間の無駄なのだ。

出版社は売れる本を印刷する。読者が勝手に満足してくれればそれでいい。 

 

書物は所詮金を生み出すものでしかない。


世の中にはそういった書物から自分の抜群の吸収率を誇る脳みそスポンジにドバドバ知識を入れられる人間が存在するけど、あなたは違うのではないか?


並み以下程度の読解力で読書を血肉に落とし込めるなど不可能だ。


だから、あなたの人生のメインは他人の書物ではなく自分の感覚や経験といった地味なものなのだ。

 

そういう事実に気づかず、所謂頭のいい人達の著書を大量に読めば彼らに近付くだろうというのは、悲しいかな大半の人達には幻想なのだ。

 

両親からの遺伝子と幼児期までの教育で"この世界を有利に生きやすくなる"確率が大きく変動してしまう。

 

明確な答えがないことを"分かる"ということは、それこそ360度様々な"分かる"があり、たまたまそれが人生に有利に働くことが多い"分かる"を備えている人間が頭のいい奴だ。

 

文章の行間を読むとか、著者が本当は何を思ってこれを書いているか、確証はなくても自分では明確に分かってしまう能力がなければ、知識を得ようとする読書にあまり意味はないのだ。

 

そんな優位な"分かる"を獲得したいと思うとき既に遅い。

 

脳移植で獲得できるのかもしれないが、"分かる"を所有している人間が味わっている所有ゆえの苦悩について持たざる者は味わうことができない。


よくバカの方が幸せだなんて言うけど、持つ者も持たざる者もそれ故に相手のことは"分からない"のだ。

追記 勉強嫌いの中高生へ

 

今16歳くらいで、勉強嫌いで飲み込み悪くて苦行だけど無理やり勉強っぽいことをしてる人がいたら、陶芸教室にでも行ってみるといい。


陶芸家は社会のはみ出し者である確率がかなり高いからだ。

(陶芸家の皆様大変失礼しております)。


そういうわけで無理やり大卒で社会人になって定年まで行けるなんて楽観視しない方がいいと思う。

 

以上。